「ミャオ族」と聞いて多くの人々が最初に想起するのは、祭事などで華やかな衣装と共に女性らが着用している大量の銀細工かと思います。

ミャオ族はなぜ銀細工を作り、身につけてきたのでしょうか?

ミャオ族は歴史的に「文字」を持たない、いわゆる無文字社会を生きてきた人々です。

彼らにとって文字の代わりにメッセージや日々の出来事の記憶装置、そして神話伝承の役割を果たしたのが紋様や図案でした。

衣装や銀飾りに施された紋様は歴史や物語を思い出すための媒体であり、それゆえにその表現力は芸術のように発達していったのです。

織り込まれたメッセージは歴史や物語の記録だけでなく、既婚と未婚の区別や帰属意識を表す身分証、魔除けの護符としての効能など多岐に渡りさまざま。

また、当然ながらミャオ族にとっての銀飾りはそれそのものが財産でもあります。

かつてのミャオ族は焼畑農業を営み移動を繰り返していたため、全財産を身につけている必要がありました。

銀は漢族商人との取引で得た商品の代価であり、貨幣として流通していたこれらの多くを鋳潰して銀飾りとしました。

ミャオ族にとっての銀飾りは女性らの装飾品であると共に、持ち歩ける「移動財産」として定着したのです。